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先說明一下,我是1972年生的人,1980年代台灣街上摩托車有實際看過
GY6最早是光陽在1990年2月發售的,所以在1989年當時為日本合資廠的光陽本田就開始處理相關生產問題
(1980年代光陽車都是打上本田標緻的)
至於GY6這款引擎,不是你講的1984年的大鯊(其實日本在1983年就有大鯊一代,
資料出處https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC#SPACY125
スペイシー125[編集]125ccクラスでは3代に渡り生産販売された。本項では型式別に解説を行う。
初代 (JF02)[編集]![]()
スペイシー125ストライカー(JF02)
ホンダコレクションホール保存車
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液晶メーターパネル
(輸出仕様Elite150)
1983年3月7日発表、同月10日発売[15]。型式名JF02。正式車名はスペイシー125ストライカー(SPACY 125 STRIKER)である[15]。
前ボトムリンク/後ユニットスイングのサスペンション・前後ドラムブレーキ・10インチタイヤの構成・基本的デザイン・液晶デジタルメーターパネルは先行発売されていた50・80を踏襲するが、二輪車としては世界初となる自動収納式リトラクタブル・ヘッドライトを搭載。また内径x行程=56.5×49.5(mm)・排気量124㏄から、最高出力11.0ps/7,500rpm・最大トルク1.1kg-m/6,500rpm・50㎞/h定地走行テスト値64㎞/LのスペックをマークするJF02E型エンジンは、始動はセルフ式のみとし、冷却方式を水冷に変更した上でラジエーターからの放熱を足元へ送る機能も装備されるなどより差別化された[15]。
JF02在1986年光陽生產的叫名流150
缸徑相同的是JF03(台灣版叫三陽迪爵150)
2代目 (JF03)[編集]1987年2月4日発売、同月5日発売[17]。型式名JF03。JF02型からのフルモデルチェンジ車で車名からはサブネームのストライカーが消滅したが、基本コンポーネンツならびに設計はキャリーオーバー、エンジンは内径x行程=52.4×57.8(mm)・圧縮比10.3のJF03E型へ変更されたものの最高出力・最大トルクのスペックは同じで50㎞/h定地走行テスト値が64.7㎞/Lへ向上した程度である[17]。また年間販売目標5,000台ならびに標準販売価格[注 12]289,000円も継続した[17]。
ただし車体面では、特徴的だったリトラクタブル・ヘッドライトを廃止し一般的な固定式としたほか、外装を曲線基調のエアロフォルムデザインとした[注 13]。
1992年・1993年・1994年にカラーリング変更のマイナーチェンジを実施しており、1993年のマイナーチェンジでは自動二輪車のヘッドライト常時点灯義務化により点灯スイッチ廃止を併せて実施した。
所以台灣車友才說GY6是JF03的發動機氣冷化的,在當年這是日本本田的生產車款
所以在1990年初生產的豪邁125並不是日本不要的舊發動機,而是為在落後國家生產的"降階"版本
在1980年代的海外日本車廠這算常見,尤其是小排量的二衝街車
日本YAMAHA 1980年代初生產的水冷RZ125.到海外的YAMAHA就變成氣冷版的RZX135
日本本田 1980年代初生產的水冷NS125.到海外的合資廠就變成氣冷版的Raider 135(台灣叫王牌135)
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